| 校長挨拶 |
私の古書店巡り
田端中学校長 島村 幸雄
私は、暇を見つけては、古書店を巡ります。 今、永井龍男関係の本を探しています。これらの本は、知り合いの古書店に頼んだり、古書を紹介する雑誌の通信をこまめに見ていれば手に入りやすいものです。しかし、私はそれを好みません。どうもその安直さが曲物なのです。《探し歩く》という過程がぬけることで、その本に対する《想い》が乾いていくのです。そうして、手にした本は、なぜか邂逅が薄いように思えるのです。自分が歩いて探して手にした本と、それに費やすある意味でむだとも思える時間。それは、探し歩く時間が長ければ長いほど、手にした本の語るべきことが、私の心の中で醸成する耳を育てているように思えるからです。 本探しには後悔もあります。 安藤元雄の詩集「秋の鎮魂」をようやく探し当てたのですが、高価なためためらってしまいました。翌日、やはり手にいれようと出向きましたら、私と同じ様な人がいて、見つかったと喜んで、抱くように持ち帰ったそうです。私はその時、その本が持ち主を選んだと思いました。私は一期一会を自分から棒にふってしまったようです。 さて、私はこの古書店巡りのポリシーを、若い時に教育相談所の研修で学びました。それは、本を生徒に例えると、安易に事象(古書目録等)に頼らず、長い時間をかけて話し合う。そして、その時間が長ければ長いほど心を探す時が醸成し、その生徒(本)との邂逅が深くなり成果が自ずから歩み寄ってくると思うのです。ですから、先ほどの後悔は、生徒との一番のふれ合いの機会(一期一会)を自ら拒絶してしまったような結果だと思えたのです。 先日、このような古書店巡りで、赤い線が引いてある高見順の本を見つけました。大学生が卒業論文に使ったようです。その学生がこの本に赤線を引き、悪戦苦闘している姿が、私の学生時代と重なります。読み進めていくうちに、線が引いてある文章にあたります。おや、こんな所に線が、前の持ち主はここでなにを考えたのだろう。どう思って線を引いたのだろうと想像してみます。すると、自分の考えの中で、なるほどとか、こんな処まで線を引かなくたってよいのにとか、いつの間にか見知らぬ前の持ち主とその本を通して、親しく対話している自分に気が付くのです。まるで、教育相談の受容と共感、邂逅を行っているみたいです。これも読書の醍醐味の一つと思うのです。 |
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